私の名前は村山周平です。

皆さん初めまして。

日本農業経営大学校・第1期生のお荷物こと、村山周平です。

実家は新潟県津南町でお米農家をしていて、私は長男です。

私は入学してからの2か月間、8~9割の時間を自分と会話していたので、特に面白かったり、おかしなことは書けません。

つまりネタが無いので、私は2か月間考えていたことを文章に起こしてみたいと思います。長文で退屈かもしれないので、日本経済新聞を読んだり、加藤シルビアをぐぐっていた方が有益かもしれません。先に言っておきます。では、、

 

私はこの2か月間、自分の哲学について考えて、練り直していました。農業は生半可な信念や理念で続けられる職業ではないと、1~2割の時間を人と話すことで改めて気付いたからです。

私は入学前の時点では、「家業の農業を継いで、家族だけは養うんだ」くらいにしか考えていませんでした。私は今、次のような想いを持っています。

 

①自分で作ったものを顧客に直接届ける

②田畑と会話が出来る農業者になる

③家族と地域を養う

 

①は入学前に埼玉県、霜里農場の金子美登さんの元で研修を行っていたことが影響しています。そこでは提携している顧客の方に毎週、野菜を配達する仕事があるのですが、野菜を届けた時にお客さんの顔が嬉しそうになって、玄関口でお話をしたりお礼を言われたり・・その時間は私にとって、すごく嬉しい時間だったんです。そのことを思い出して、今度は「自分が作ったものを」届けたいと思うようになりました。

②は父や霜里農場の金子さんに憧れたということがあります。二人とも、自分の田んぼのことや畑のことを知り尽くしていて、これがプロフェッショナルなんだ。自分も彼らのようになりたい。自分が小さい頃から見てきた田んぼや畑のことをもっと知りたい。これから一生、農業の道に生きるのだから、そうじゃないと格好がつかない。と、そう思いました。

③は家族はもちろんのこと、それに加えて、私が保育園の時からお世話になった地域の人たちも守りたい、盛り上げたいと思うようになったことです。これは、山形県、米沢郷牧場グループの代表である伊藤幸蔵さんの、「地域のガキだから」できることがある、という考えに共感したためです。

 

以上、私が農業を志す理由であり、哲学です。

私は今、前よりももっと農業がしたいし、勉強したいと思います。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。学校の課題に対する力の入れ具合を10,000とすると、今回はその53倍は力を入れました。(地球人で戦闘力10,000は相当に高いです。フリーザが強すぎるだけなのです)

 

P.S.朝は早朝4時に起きる練習をしているので、完全に今日は寝不足です・・

よし、二度寝しよう。